メルPチャー

誰かに話すまでもないこと

昨日ふと

久しぶりのブログだ。


昨日、ふと、ふと…先生のことを思い出したのだった。


以前ここにも書いた先生のこと。


先生の眠る関東のお寺。

そこへの道程をふと思い出した。


関東近郊にならどこにでもあるような駅だった。


駅周辺は飲食店が並んでいて賑やかな雰囲気。


そこを少し歩いて行くとなんとも不思議な雰囲気になる。


住宅があり学校があり、そして、もっとお寺方向へ足を進めて行くと田畑が広がり長閑かな光景。


山の中に建っているようなそのお寺は先程の日常とはかけ離れている。


時空、あるいは次元が変化した事がわかる。


温度がない広がる静寂。荘厳。


お寺はその地域では有名らしい。

地元の人たちからも尊敬されている事が伝わる。


ゴーちゃんも私もそこへはもう行かないのだろう。行けないのだろう。


そしてゴーちゃんと私、その周辺の人々の関係、難しいものがある。


難しいとしか表現できない。


それを切らずに理解しながら咀嚼しながら


生きていくしかない。


先生が明るい人であった記憶、温かな人であった記憶。


これが残された私たちの救いになっている。


こんな思いは、もうここにしか記せない。


思い出して静かに悲しい気持ちが滲んでも誰かを責めたりするには、もう色々な傷みを分かりすぎている。


先生を、ゴーちゃんを、私を傷つけた人間の弱さも。情けなさも。


許さなければ自分を苦しめる不条理も。


理解しているつもりだ。


ゴーちゃんも私も。

夜と支配と、その考察

さっき、猛烈に歩きたくなって散歩する事にした。


チェーン店のカフェに寄りテイクアウトして、のろのろ歩いた。


歩くことが好きで学生の時分、終電を逃しては川沿いをなぞるように歩いた。時間は無限と思われる程ある。


街の喧騒が少しだけ遠くて水際は静かだった。


眠らない街を、恐ろしい程の美を讃え人を惹きつけてやまない街を、長く時を刻んで来たのに一瞬たりともそれを止めてくれない街を兎にも角にも歩いた。


常に誰かと歩いていた。自分たちの研究、好きな本、好きな音楽と共に。


私はその人たちを殊に愛していた。

恋人でも友達でもまたは名前をつけられない関係も。


誰もかれも夜を好んだ。自分たちの部屋が近くなれば辿り着かないように遠回りをする。


ひとりになりたくなくて、一緒に歩く連れを部屋に誘い自分のベッドに寝かせた。


連れが眠りに落ち、白んだ空を確認する頃にようやく眠る気になる。


子どもでもなく大人でもない時間が惜しかった。


夜が明ければ大人にならなくてはいけない気配がした。


そういえば、アルクアラウンドの歌詞のようなフワフワフラフラと漂い生きる友だちを好きになった事があった。


叶わなかった憧れと、あの人がコーヒーカップを持つ華奢な指先や煙草をくわえた美しい唇、ビンテージの長いコートが蘇る。



貯蔵した光景を少しずつ引き出しながら生きている。


卑屈になりそうな自分を慰めるかのように。


誰かに語れば途端に陳腐なものになるだろう、それをきっとこの先も手放すことはできない。


誰かに話すこともない。


多くの断片はあの街に置いて来た。


全てを持ち帰るともう戻れない気がして。


グレーで生きる

いわゆる、グレーゾーンに生き自分を又は他人を許しながら生きていける人、こういう人は強いと思う。


強いというのは、どんな場所でも人間関係をこじらせることなく人を追い詰めず嫌われない。嫌われないから悩まない。悩まないから朗らかできっと人の心を癒す。柔らかくって優しい人。


グレーな領域を歩める人、こうして書いてみると良いことしかない。


では、なぜ。なぜ、自分は、そんなふうに生きていけないのだろう。


頑張れない自分は悪で、ズルい人を許せない。いや、実はズルなんてしていないのかもしれない。ちゃんとしたルートで手続きし、やらなくても良い手間を器用に省いているのかも。


つまるところ、不器用だからうまく立ち回れる人が羨ましいのだと思う。


本当は、というか、絶対に私が頑張らなくたって人はそこまで私に注目してないし、一度ラクをしたからってそれを許せないほど落胆させたりはしないだろう。


「正しさ」はいつでも正しいけど、正解ではないんだと思う。正しさすら相手に合わせてグレーにしてあげることができる人、こういう人に結局人は救われるのだ。


正しさでは人を動かせない。むしろ、正しさでは人を傷つける。


社会の波に身を任せれば任せるほど、グレーしか見えない。むしろ、白か黒かなんてはっきりしてる方が少ない。


どこで、自分はそんなふうになってしまったんだろな。

失敗を許されない環境だった。弱音は許されなかった。間違えればただただ自分を低くして反省することでしか受け入れてもらえなかった。


全てがいい年した大人のいいわけでそんな過去全て忘れたかのように、理不尽も清濁合わせて消化して、寛容な大人として生きて行かなければなりませんね。


もちろんこんなことも、皆乗り越えて他人に優しく生きているのでしょう。

ユメ

よく、夢を見る。


だいたいが、学生時代の辛かった事、前の職場での心配事、それから面白いのは大学生の時に住んでいた部屋がまだそのまま私の部屋としてあり、そこへ帰る夢とか。


これらを組み合わせたような夢をたくさんみる。


幸せな夢や楽しい夢は滅多に見ない。


だから、私は心?なのか魂?の破片を学校や前の職場、学生時代の部屋に落っことしてしまったのかと思っている。


うまくいかなかった。未練がある。とかそんな理由で。

っで、起きてる時は現実の事で精一杯だから眠っている時にまだここにいるよって言ってるように思う。


しかし、仮にそうだとしても、ごめんよ。もう拾いにはいけない。


そして、もう一つ。

自分は夢の中でもうこの場所にいるべき人間でない事もわかっている。

だから、前の職場に行く夢でも「私、もう帰らないと。もうここにはいれないんだから」って思うし、学生時代の部屋もそのまま時間が止まっているのに座りもせず部屋を一周するだけでさっさと部屋を出てしまう。

居心地の悪さを感じる。


場合によってはたくさん寝たはずなのに朝起きると疲れてる。


この話も、人に改めて話すには相手を退屈させてしまいそうだ。


静かに思う

夏の終わりは私が憧れていた先生の命日がある。正直、命日という言葉すらピンとこない。


お参りには、3回ほど行ったけどいろいろな事情からもう行くことはできなくなってしまった。


言い方を変えれば「行かない方が良い状況」になった。


それは致し方ない事情で、家族にしかわからない痛みがあるのだから、私はただその事実を時間をかけて受け入れるのみとなった。


先生との関わりはずっと、遠い昔のことになってしまった。今となっては共に語れる仲間は一人しかいない。(以下ゴーちゃん)ゴーちゃんも先生に憧れを持っていた一人である。

ゴーちゃんとは、同じ痛みを持つ同志になる。


毎年、命日になるとその日から3日ほどかけて先生の思い出話しをメールする。それから、お互いのとりとめもない近況を。

この前、レンタルビデオ屋に行ったら先生に似ている人がいた。とか、先生の名前が貼ってあるシールがまだ傘立てにあったとか、そういう類の話。


今年もメールを交わしたけど、お互いの生活に変化があったのでそれが主な会話となった。


ゴーちゃんは時々先生のブログを見るという。何年か前に2回ほどゴーちゃんにブログのURLを聞いたけどスマホの機種変更を繰り返すうちにURLもわからなくなってしまった。


生きていると日々、更新されていく。それが自然で当たり前のこととして通過していく。

不思議なことに、ゴーちゃんとメールを交わすと少し時間が止まる感覚になる。


先生との最後の会話は、日本に帰ったら会おうね。だった。さようならじゃなくてちゃんと次の約束があった。

これ、ゴーちゃんに話したかな。先生とのことについては何でも共有していたつもりだったけど。


私がまだ20歳位のお嬢さんだったなら、この何とも言えない悲しみをお酒が入って饒舌になった時に吐き出せるかもしれない。残念なことにもうそれを許されないほど大人になってしまった。


ゴーちゃんはもっともっと大人になってしまった。


もう、今年はゴーちゃんから返信が来ない。今年の分の痛み分けは終わったんだと思う。


おそらく、この先も2人で静かに誰からも悟られず先生を思い出すのだろう。


文章を書く理由

文章を書くことは好きだが、いつの間にかSNSに疲れていた。


ポジティブやキラキラは食傷気味だし名前や顔を出すと弱音を吐きにくくなる。


もっと気楽に、もっと純粋にシンプルで、ありのままに綴りたい。


改めて誰かに話すまでもないこと、話しにくいことを記録する。誰かの顔色を伺わずに言いたいことを言いたい。


日記じゃないから、時間は前後するけどそれはそれでいい。


そしてこのブログを見て共感なり否定なり邂逅なり誰かの人生に交わったのなら嬉しい。


新幹線や飛行機、フラッと入ったチェーン店の特段おしゃれでもないカフェで偶然居合わせたくらいの距離と人の気配がする感覚。


このブログはそんなふうに使いたい。