メルPチャー

誰かに話すまでもないこと

昨日ふと

久しぶりのブログだ。


昨日、ふと、ふと…先生のことを思い出したのだった。


以前ここにも書いた先生のこと。


先生の眠る関東のお寺。

そこへの道程をふと思い出した。


関東近郊にならどこにでもあるような駅だった。


駅周辺は飲食店が並んでいて賑やかな雰囲気。


そこを少し歩いて行くとなんとも不思議な雰囲気になる。


住宅があり学校があり、そして、もっとお寺方向へ足を進めて行くと田畑が広がり長閑かな光景。


山の中に建っているようなそのお寺は先程の日常とはかけ離れている。


時空、あるいは次元が変化した事がわかる。


温度がない広がる静寂。荘厳。


お寺はその地域では有名らしい。

地元の人たちからも尊敬されている事が伝わる。


ゴーちゃんも私もそこへはもう行かないのだろう。行けないのだろう。


そしてゴーちゃんと私、その周辺の人々の関係、難しいものがある。


難しいとしか表現できない。


それを切らずに理解しながら咀嚼しながら


生きていくしかない。


先生が明るい人であった記憶、温かな人であった記憶。


これが残された私たちの救いになっている。


こんな思いは、もうここにしか記せない。


思い出して静かに悲しい気持ちが滲んでも誰かを責めたりするには、もう色々な傷みを分かりすぎている。


先生を、ゴーちゃんを、私を傷つけた人間の弱さも。情けなさも。


許さなければ自分を苦しめる不条理も。


理解しているつもりだ。


ゴーちゃんも私も。